日本美術史課題2提出
2014-04-26


 課題1の結果がでたので、 課題2をダッシュでまとめて提出した。葛飾北斎の作品を中心とした浮世絵芸術論です。

以下、レポート抜粋

 江戸庶民文化の華とも称される「浮世絵」。様々な風俗を描いた大衆娯楽だった。そんな浮世絵の芸術的価値を発見したのは西洋の人々、中でも高い評価を受けた「葛飾北斎」の作品を通して浮世絵の芸術性を考察する。

 葛飾北斎は世界的にも最も名を知られた日本人画家の一人。19歳で勝川春章に入門、浮世絵の役者絵を出発点として、様々な流派の技法を学び、新しい画風を自らのものとしていった。北斎流風景画の極致ともいえる『富嶽三十六景』の出版は1831年。風景画を主役に押し上げた画期的なシリーズである。本編36枚は、オランダから輸入された「ベロ藍」を輪郭線に用いて明るく柔らかな画面を作った。北斎といえば風景画のイメージが定着しているが、世界に認められる北斎の芸術的成果が70歳のこの時期に結実された。
『北斎漫画』の初編発行は1814年。森羅万象を題材に軽妙な筆致で描かれた手絵本は、北斎の才能を示すデッサンの集大成で、海外に渡りヨーロッパ印象派の画家たちに大きな影響を与えた。ゴッホ、マネ、ゴーギャン、ガレ、クーベル、ドビッシーなど。19世紀後半に欧米で流行した「ジャポニスム」の発端は、版画家ブラックモンによる『北斎漫画』の発見、浮世絵はその流れに乗って世界中に広まった。浮世絵独特の表現方法は、それまで宗教的題材や写実的技法を重視してきた西洋の芸術家に強い衝撃を与えた。
 浮世絵が芸術作品となり得た理由のひとつは版画技術。初期は墨一色だったが、さまざまな技法が試行錯誤され、18世紀中期に多色摺り版画が生み出される。出版物である浮世絵は、版元の下さまざまな職人の分業体制で制作され、毛割、ぼかし、雲母摺、地潰しなど、世界に類を見ないさまざまな版画技法が駆使された。

 浮世絵は明治期に入り、庶民生活が一変するとその存在基盤を失い消滅せざるを得なかった。しかし北斎など優れた浮世絵師たちの思いが、単なる印刷メデイアを日本文化を代表する不滅の芸術作品に創り上げたといえる。

 と、こんな内容です。

 ひとつ気になったことが…僕はレポートを書く場合、基本的に文表表現でならったように、「序論」「本論」「結論」必ず3つのパートにわけて書いている。で、本論は2〓3の段落にしている 。習ったとおり、学習レポートのセオリーどおりなのだが、レポート全文を掲載している他のムサビ通信生のブログを見ると、必ずしもそうはなっていないものもある。

自分は自分のスタイルで書くだけだけど、間違っているのではないかと、少し不安になったりもする。

[日本美術史]

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